舞台創造研究所トップページ > 会社案内 > ご挨拶

舞台創造研究所代表:竹柴源一よりご挨拶

【歌舞伎ルネッサンスへ・・・・・】

日本の古典芸能の集大成であり、四百年の伝統に培われてきた演劇、歌舞伎。 その演技や演出は言うに及ばず、衣装、大道具、小道具、それらのすべてが驚くべき技の結晶です。
日本文化の財産である歌舞伎の芸術性を、舞台技術の粋をより多くの人々に伝え、育み、そして新しい舞台 芸術を生み出す礎とすること。 本物の日本の演劇文化を再生すること。 それが私たち舞台創造研究所の願いです。


【口 上】
我々は、現役狂言作者の竹柴源一代表のもと、全国で歌舞伎の普及活動を行っております。 歌舞伎には大きく分けて、1:家柄歌舞伎、2:市民参加型の歌舞伎、3:自由で平等な歌舞伎、という、3つのジャンルがあり、これを総じて歌舞伎と呼んでいます。 その3つとは家柄という権威を守る歌舞伎、地元の農村歌舞伎など市民が演じる歌舞伎の地芝居、そしてかつて隆盛を極めたけれど、今では姿を消してしまった自由で平等な競争の元で競い合った歌舞伎です。 我々はこの自由で平等な歌舞伎の復興を中心に活動を行っております。

【自由で平等な歌舞伎とは】

1:官許の歌舞伎は、権力者の目をくらますお飾り歌舞伎でした。
日本の歌舞伎は、名前を大事にする演劇でした。
血筋ではなく、芸を大切にする演劇でした。その歌舞伎の中で官許の歌舞伎というものは、 江戸幕府という権力の査察を退かれる為の行儀の良い歌舞伎でした。
この歌舞伎は大都市部の一部で行われていたお飾りの歌舞伎だったのです。

2:日本人の大部分は、自由で平等な歌舞伎を観ていました。
ですから日本人の大部分の人はこの官許の歌舞伎は観劇出来ませんでした。
一般の日本人が観て楽しんだ歌舞伎は、日本全国にあった自由で平等な競争の中で勝ち残った実力のある権力に媚びない、観客を大事にする歌舞伎だったのです。

劇場の大小にこだわらず、名前でなく腕で見せる役者達の熱演と分かりやすいテーマの演目により大衆の心を掴んだのが、官許の歌舞伎と違う本来の歌舞伎だったのです。全国津々浦々までこの歌舞伎は浸透し、日本人の心の文化を形成していったのです。

3:天覧で生き残った能楽
しかし明治になり日本古来の芸能に取り巻く環境は、大きく変わりました。
武家社会が譲って来た能楽はスポンサーを失い滅亡寸前でした。
鷺流など由緒ある数々の能楽は、この時期に消滅しています。
そこで生き残った能楽界が考えたことは明治の権力者への天覧を実行することにより、生き残りをかけたのです。そして再び新しい権力者に認められることにより、現在の能楽は生き残れたのです。

4:能楽の天覧を真似、生き残った元官許の歌舞伎
歌舞伎も能楽同様、明治維新という大きな波にさらわれ消えそうになっていました。
その時、元官許の歌舞伎が考えたことは、お能を真似ることでした。
そしてさらに、元官許の歌舞伎と他の歌舞伎との差別化を計り、元官許の歌舞伎のみの生き残りをかけ、能楽の成功例に習い天覧を画策したのです。 そしてそれは能の天覧より10年後、元官許の歌舞伎も見事に成功することとなります。そしてその時、権威づけの為、歌舞伎に女性は出てはいけないという勝手なルールまで作ったのです。

これにより元官許の歌舞伎は、自らを大芝居と称し、それ以外の歌舞伎を小芝居と蔑称することになり、それに沿って農村等で行われている市民参加型歌舞伎を地芝居と呼ぶことになりました。

それでも歌舞伎では血筋より実力を大事にし、先輩達が大名跡とした名前を大切にするという考え方は変わりませんでした。名を大切にする制度は生き残り、能楽の一子相伝の継承のやり方を真似ず、、血筋ではなく真に実力のある者が大名跡を継承して来たのがせめてもの救いでした。 現在の家柄歌舞伎と前進座がこれに相当します。

5:歌舞伎最大の危機はGHQの政策
そして昭和20年、日本はGHQの占領下におかれることとなりました。

この時、歌舞伎最大の危機が訪れることになります。
それは大部分の歌舞伎演目の上演禁止です。GHQは歌舞伎のテーマである義、忠、孝、仁、慈などが天皇制復活に繋がると考えた故の処置でした。
この解釈にて二年間、忠臣蔵を始めとした有名演目を上演禁止したのです。それにより200以上あった歌舞伎の専門劇団は廃業を余儀なくされました。
唯一映画という、アメリカの国策にそった収入源を持っていた興行会社の家柄の歌舞伎と、働く人からの支持を受けた前進座と、一部の地芝居が生き残り、その他の自由で平等な歌舞伎は段々と消滅の道を進むしかありませんでした。

その為、我々が現代見聞きすることの出来る歌舞伎は官許の流れをくむ家柄の歌舞伎と会員観劇会を主体とした前進座のみであり、その興行形態ゆえ歌舞伎は、血筋で伝えられている芸能で特定の人しかできない演劇であると間違った考え方をする様になりました

この歌舞伎が残ってくれただけでも幸いであるが、本来の姿の自由で平等な歌舞伎は、昭和36年のかたばみ座の公演を最後に消滅しました。

6:歌舞伎フォーラム公演、柝の会の誕生
その様な憂うべき状況の中で、平成6年3月より我々は若手歌舞伎俳優の育成、歌舞伎理解者の増加という大儀名分の元、国立歌舞伎俳優養成所出身者、並びに、家柄歌舞伎俳優以外の、名題、名題下といわれる俳優の出演による、歌舞伎フォーラム公演を実施しました。それを存続させる為にマスコミの協力を得て、数々の圧力や防害を乗り越えて上演して来ました。
更に一人でも多くの理解者、協力者を得る為に、「柝の会」というボランティア団体で、平成元年より毎月のセミナーを行い理解を求めてきました。

7:社団法人俳優協会の要求
しかし、平成18年5月、歌舞伎の家柄役者のみが役員を勤める社団法人日本俳優協会より、家柄歌舞伎の興行を行っている興行会社へ、会長と理事7名の役員の名前で歌舞伎フォーラム公演への俳優貸し出し禁止を要求されました。それを受け、21回、15年続いた歌舞伎フォーラム公演は上演不可能となり、平成20年2月を以って、毎月連続250回以上の開催を行って来た「柝の会セミナー」も開催不可能となりました。

8:歌舞伎は特定の人の所有物?
そこで我々は、もう一度歌舞伎の原点に立ち戻り、考えました。
歌舞伎は日本の財産であり、私たちの誇りであり、宝であるべきです。
特定の人の所有物ではなく、私共全ての日本人の所有物であらねばならないと、我々はこのことを正しく伝えなければなりません。
間違ったものにいつまでも目をつぶってはいけません。

9:新たな出発
私達は小学校2年生から一般の子供達に、家柄の子供と同じ訓練を行い、体中に歌舞伎が染み込んだ子供達を育てるという新たな行動を起こすことと致しました。
平等で自由な歌舞伎の復興という信念を理解した、歌舞伎俳優や、伝統芸能保持者が子供達の為にたくさん集まってくれました。彼らの熱意と誠心がこの運動の下支えになりました。
彼らの協力に依り、毎年150人の子供達に半年間の歌舞伎体験を行うことが出来るまでになりました。

10:歌舞伎ルネッサンス公演の誕生
更に、歌舞伎フォーラム公演は、歌舞伎ルネッサンス公演と名を替え、新劇の俳優でもタレントでもストレートプレイの役者でも真摯に日本演劇の発展を望む人、高度な技術を学びたい人なら誰でも参加出来る歌舞伎として平成20年より出発しています。
このルネッサンス公演には、様々な立場の人が自由で平等で最高の芸術性を持つ歌舞伎を修得する為に努力し、更に次代を背負う子供達に歌舞伎を伝え、世界中の人達に歌舞伎の素晴らしさを知ってもらうという、目標を立て、この活動に参加しています。
又、柝の会セミナーも、日本伝統芸能を愛し発展を望む良識ある人達のゲスト出演によるセミナーとして平成20年12月より、かぶきはともだち、のタイトルで再出発しております。

11:歌舞伎は私達の宝です。
歌舞伎は私たちの財産であり、宝物です。
世界中の人達が憧れる演劇です。
その世界遺産である演劇を私達は理解し、誇りに思えるようになりたいと思います。
その為には、まず観劇すること、知ること、体験することが大事です。

今東京と千葉で小学校二年生から六年生を対象に毎年150人の子供達が子供歌舞伎と称し、家柄の子供達と同じ訓練を受け、歌舞伎を体験しています。
何年も継続している子もいれば半年間の体験で他の習い事へ進む子もいます。
継続している子供達の最上級生は中学生となり、平成21年4月より若草歌舞伎と名乗り、より専門的な訓練を受けています。
彼らが22才になるまでこの家柄の御曹子と同じ訓練を続けてもらおうと思っています。
そして彼らが社会人となった時に、一つの選択肢として歌舞伎ルネッサンスへと引き継いでいきます。
更に、東京、千葉でしか行われていない子供歌舞伎を全国的な広がりを持たせる為に、歌舞伎指導者育成を平成20年より行っています。
平成20年度は13名が指導者として飛び立ち、平成21年度は21名が新たに全国へ飛び立つ為、研修を行っています。

歌舞伎は世界に冠たる演劇です。 この素晴らしい財産を私達日本人の手に再び取り戻し、誇りを共有し、世界中にこの素晴らしい演劇である歌舞伎を広めていきたいと思っております。 皆様の御支援の程、よろしくお願い申し上げます。

舞台創造研究所の最新情報は舞台創造研究所ブログをご覧下さい!